26歳にして声優専門学校に体験入学した男の話

26歳というのは複雑なお年頃だ。
世間一般的にはまだまだ若造だろう。
しかしながらカテゴリー的には立派なアラサーである。
甥っ子に妖怪ウォッチメダルを供給する代わりにおじさんとは呼ばせないwin-winな取引、ささやかな抵抗をしている僕もアラサーというカテゴライズに対しては著しく無力で全く為す術がない。
26歳はまだおっさんじゃない!という否定派には是非頑張っていただきたいものだ。
しかし如何なる党派であっても、モラトリアムが許される時期ではないということは、垣根を乗り越え全会一致となろう。
そんな26歳の僕が将来への夢と希望に満ち満ちている声優の専門学校に行ったときの話をしたい。


昔から僕のことをお兄ちゃんと呼び、懐いてくれる存在がいる。友達の妹である。下の兄弟がいないため、本当の妹のように可愛がってるつもりだ。
そんな愛すべき友妹の将来の夢は、声優になることらしい。
まだ小学生であれば友妹ならなれるよ等と、何の根拠もない極めて無責任な発言をしただろう。
しかしながら彼女はもう中学生、そろそろ現実も見せねばなるまいと思い、あえて厳しいことを言ってみた。
声優というのは極めて狭き門であり、この仕事だけで食べていくというのはある意味プロ野球選手になることよりも難しい。何万人もの若者が目指し、そして夢破れている現実を。

彼女は偉い。
努力せねばと思ったのだろう、自分でも通えそうな声優学校を調べ、体験入学に行きたいと言ってきた。
しかし、所在が名古屋であるため、中学生の自分が一人で行くには難しいので連れていって欲しいと。
極めて前向きで建設的な考え方に感心した、と同時に発言してしまった手前、連れて行かないわけにはいくまい。両親の許可を取り、場所を調べ、連れていくことにした。
彼女を学校まで送り、待ち時間はその時期行っていたアンサンブルスターズのカフェに行こう、そう考えていた。


今思えば何故その時疑問に思わなかったのか。
受付でご予約の○○様ですか?と、明らかに僕の名前が呼ばれた。
不思議には思ったが、なるほど、連れ合いのための待合室のようなものがあるのだなと考え、案内されるがままに中に入り席に着く。
周りを見渡すと10代前半後半と思わしき女子、女子、女子、女子、女子、女子。
うん、ここどう見ても体験入学に来た人の席だわ。
みな輝かしい将来を夢見、目がきらきらしている。
その中に混じる26歳の男。

何歳であっても夢を思い描くのは素敵なことだ。
しかし、お前そろそろ現実見ろよと言わんばかりの視線。想像してみてほしい、自分がその状況だったらと。10分の1でもこのいたたまれなさが伝われば幸いである。
後に聞くと友妹はどうやら僕の名前で申込をしてしまったらしい。

とにもかくにも、ここまで来てしまった。
もう後には引き返せない、どうせ話を聞くだけだ、終わったらアンスタカフェの凛月くんに癒してもらおう、その時はそう考えていた。
話が始まる、どんなレッスンをするのか、声優以外にも声を使った仕事がどれだけあるのか、そういった内容だったように思う。
話は終わった、さぁ帰ろうと思った瞬間、これからお待ちかねのアフレコ体験を始めますとのこと。
全然お待ちかねていない。

どうやらこの体験入学の目玉は、流行りのおそ松さんを題材に実際にアフレコの体験が出来ることらしい。
みな○松がいいです!などと手をあげる。
全く知らない僕。
受付の男が「何役をされますか?」と要らぬ気遣いを見せてくる。
しかし、しめたと思った。なぜなら彼は受付のプロだ、しかも見たところ僕と齢が近かろう。
僕のリアクションから望んでここに来たわけではないことを察するのは不可能ではない。
「脇役とかで全然いいので…」と応える。主役は若い子達に譲ってやってくれ、そういった大人の気遣いも込めて。
うんうん、と頷く彼。さすがプロだ、僕の意図は伝わっている、安堵した。
「ではちょろ松なんかはいかがでしょう?」と絶妙なパスを出してくる。
素晴らしい、いかにもしょぼそうな名前だ、きっと脇役に違いない。
「それでお願いします」と笑顔で応える。
台本が配られる。
中を確認する。

あの野郎

ちょろ松は主役中の主役、一番台詞が多かった。
僕が本当は主役を演じたいが遠慮して言い出せずにいる、彼にはそんな背景が見えたのだろうか。僕の状況も意図も気遣いも1ミリたりとも伝わっちゃいない。
怒りのシーンでもあればさぞ想いの籠った名演技ができたことだろう。
しかしながらちょろ松はコメディ色の強いキャラクターであるらしい、全然笑えない。

何度も繰り返すが僕は26歳である。
ここで醜態を晒し、代えてくれとだだをこねるわけにはいかない。
全然平気ですよむしろ主役で嬉しいですよ、そんな大人の余裕を見せながら内心汗だらだらである。
アフレコが始まる。
皆全力で演技を行う、すっげーうまい。
さもありなん、ここから自分の輝かしい未来が始まるのだから熱も入るというもの。
こういうときに一番やってはいけない行為は一人白けた演技をすることだ、恥ずかしがってもいけない。
よし、覚悟を決め息を吸う。

「ちょろ松のデリバリーコント~!!!」

…ここから先は記憶がない。
2度と思い出したくもない、願わくばその場にいた全ての人の記憶を消してくれ神様。

ともあれやり切った、さぁ帰ろうすぐ帰ろう帰って枕に顔を埋めてじたばたしよう。
そこへ立ち塞がる受付の彼。
戦い抜いた僕を労ってくれるのかい?

「これから先程のアフレコ上映会をします!」
…このくそ野郎がよ!

自分の声の入ったアニメを皆でみるという精神修行をした僕にもう恐いものなんてない。
正に天衣無縫、マリオのスター状態だ。
最後に講師の方と面談があるらしい、もうどうにでもなれ。
素敵な声ですし、レッスン受けられてみては?と勧めてくる。
おいおい申込書はどこだい?僕はちょろ松、営業トークであることは重々承知の上で褒められるのに弱い。
しかし、僕26歳なんですけど…と応える。
彼は確かに言った、「あっ」と。
あの、「あ」には万感の想いが込められていたのだろう。
社会人の方でもレッスンを受けられてる方もいらっしゃいますしーと取り繕うがもう遅い。
26歳で専門学校卒業したらもう28歳、その後オーディションに落ち続ける生活が待っており、気付いたら30歳声優専門卒職歴無しというモンスターを産み出してしまうかもしれないという、「あっ」であろうと推察することは被害妄想だろうか。

全くもって26歳というのは複雑なお年頃なのだ。

友妹は結局レッスンに通うことにしたらしい。
素晴らしい、10年後にはあの人気声優のきっかけ作ったの僕なんだぜと自慢させてくれ。
奇妙奇天烈摩訶不思議な黒歴史を引き起こした未来ある友妹が帰り際に放った一言でこの物語を締め括りたい。

「お兄ちゃん、下手くそだったね」
ぐすん